公園にて
ふと公園の片隅にある石碑に目が止まる
石碑の上にバナナの皮がのせてあったからだ
石の上では土に還らないと思い土の上にどかす
そこで石碑を読んでみた
この場所は学校の始まり
明治時代に屯田兵のための開拓者を育てる学校があったと記されている
お寺の敷地をそのために提供したと
先程書いた本の話
いただいた本の中に江戸時代の江戸っ子のしきたりが書かれている本があった。
基本こういうのは口伝のため、文章には残っていないとも書かれていた
また、江戸時代が終わり、明治が始まった時、
江戸っ子を徹底的に消したと書かれていた
特に江戸弁を話す女、子どもは殺された
北海道の函館まで追ってがきて酷いことが行われたと書かれていた
そういうことで江戸っ子自体がほとんどいなくなってしまったから
こういうことを継承できなかったとかかれている
カンボジアのポルポト独裁時代、中華大革命、どの国にもあったんだ
毎日のようにその公園には行っているのに、その石碑をちゃんと見た記憶がない
そして、わたしが北海道に住む理由
京都の人を毛嫌いしている理由が少し分かった気がした
自分の過去のことなのか
先祖のことなのか
わからないが多分何かあったのだろうということに気がついた