尚美の成長記録

日々の考察

8月7日

奄美大島から帰宅 3時間前の飛行機にて新千歳入りした家族と同じ電車で小樽に行くことになる。偶然の一致、出会うべくして出会った。

それから連日家族との時間を過ごす

 

私は勝手にじぶんで決めて、誰にも言わずに勝手にじぶんで抱え込んで

自分では思い描いた通りにならない状況から周りに当たり散らしているただの子供だと指摘された。自分で気がついていないところが一番問題だと言われた。

彼は自分が子供であることをわかっている上で

子供と接しているから楽しく遊ぶことができる

私は

大人のふりして親のふりしているけど何もできなくて怒っている

大人なら段取りよくまとめたり、声掛けしたり

親なら子供をリードしたりフォローしたりとできると

できないなら俺を何故頼ってくれないんだ

それが悔しいと怒っていた。

俺の存在をちゃんと親に説明できないのは何故なのかと詰められた。

それは単に

子供との生活を捨て彼との生活を選んだと親と子供の前で言う勇気がないからだ

子供に寂しい思いをさせ悲しい思いをさせ、親に心配をかけていると思っているから

そして自分の選択したことは世間的には間違っていると私自身が思って

私自身が一番私を罰している

私自信が私を認めてないし許していないから言えないのだ

 

いつものごまかしを使った。

そうすることで親のいい子ちゃんでいられるように、

今でも親の顔色を伺っていたのだ。親が怖いわけではなく親が大好きだからだ。

嫌われたくないからだ。

彼らがいないと彼らの庇護がないと

自分一人では生きていけないといまだに思っている。

親になったのに。

 

町を歩いて知り合いに紹介した時に母は悪いことしてないでしょうかとか聞いていた

私を何だと思っているのか。

子供それもまだ小学生だろう。

小学低学年で人に迷惑をかけたことが今でも記憶から離れないのかもしれない

母は私と話すと緊張して咳が出るようだ

 

私はあの家から逃げたかった

暴力的な父を見て恐れていた

やられっぱなしの母を見て女の虚しさを知った

その記憶が今の現実を作っているようだ

早く独り立ちしたいと考えていた中学生の頃

それと同じ気持ちを私の子供に感じさせてはいけないと思っているのに

 

自分は一体何をしているのだろう?

 

セドナで聞こえた言葉

ずるいよな

そのままだ

2年たっても何も変わっていない自分

 

彼に対して私はどう思っているのだろう。

旅行に行って財布を忘れてきた彼。

前日に飲み過ぎたことが原因だろうに反省するそぶりはない

そうだ、持っている人が払えばいいだけだ。

彼の娘に会う機会があったが会わなかった。

最初から誘われていないから、途中から合流することはないと思っていたから。

じぶんだって弱いところがある

別にそれでいいと思っていたから。

でも彼は何かが気に入らなかったのだろう。

一人で夜中まで酒を飲んでいた

酒に逃げている弱い人

私から見たらそれが彼だ。

 

彼は子供が好きだと言っているが子供ができると離婚してしまうのは何故なのだろう

子供はお父さんを欲しがっていたのに、その願いは叶えず自分を貫いたのは何故だろう

彼は自分の子供を産んでほしいようだが、私は断っている

何故なら、何回もしてきたように子供ができたら彼は離れて行くと思っている

それも自分は悪くないという体裁を装って

 

彼は4回家庭を壊している

暖かい家庭に縁がないのだろう。

 

本当にほしいものは何だったのだろう

私が持っているもの

子供

時間

全てを差し出しても満足していないようだ

 

 

これでは自分の人生を自分が選択しているとはいえない気がする。

私が目指している自立とは、消極的な選択を止めること

しょうがないからこれをとる

安定しているからこちらを選ぶ

ではなく、本当にやりたいと直感的に選ぶ